君が、強くなるのを、望んだ。
その為に、生きてきた二年間だった。
誰かを、支えることが、生き甲斐だった私は、
君が、強くなった今、去らなくてはならない。
君が、変わろうとしていたことは、わかっていた。
君が、変わるのを、望んでいたし、ずっと、思って来たから、
報酬なんて、望んじゃいけない。
嗚呼、もう、終わりにしよう。
もう、とっくに、舞台は、終わっているんだよ。
ピエロは、笑って、去ればいい。
拍手は、いらない。
あるのは、仮面の下の涙だけさ。
2012-08-14 01:57
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誰かのために生き、そしてその人を生かそうとするなら
何も見返りを求めてはならないのでしょう。
人は孤独です。
それは人が必ず独りで死ななければならない運命を
背負ったときから逃れることは出来ません。
誰か大切な人が新たな道を歩もうとするとき、
己が踏み台となる覚悟も必要なのでしょう。
それは決して道化師ではありません。
他人から見ればおろかな行為であっても、
自らを崇高とならしめんのであれば、それで全ては良し、なのです。
ただそれが可能なのは相手が大切な存在であるときのみです。
人は聖者にはなれません。
それで良いのです。万人を救済出来なくとも独りの命を生かせるのなら
それは等価の意味を持つからです。
by 青竹 (2012-08-14 23:21)
青竹さん
ひとりの命を、生かせるのなら。
そう、思います。
守るべきものは、家族であったり、親であったり、血族であることもありますが、心を、通わせた同志であったりします。
そして、尊敬や敬愛や同情や、そんなものが、自分の中の何かを、動かして、守りたいと思うことがあるようです。
それが、他人であっても。
青竹さんは、優しい方ですので、きっと、誰かのために、生きてらっしゃるのでしょうね。
青竹さんの一言で、救われる方も、多いのではないかと思います。
今、私は、自分の気持ちを、表そうと、もがいています。
みなさんのブログは、見させていただいております。
青竹さんの記事も、ブックマークにして、毎日、見ております。
今は、ここで、どなたのブログにも、ナイスやコメントをしていません。
不義理を、お許しください。
なのに、こうやって、ナイスやコメントをいただいて、本当に、優しさに、感謝するとともに、胸が、いっぱいになります。
気持ちが、落ち着いて、また、じゅうぶん、見ていただける表現ができましたら、みなさんの記事にも、お邪魔させてくださいね。
本当に、感謝しております。
by スイミングママ (2012-08-14 23:51)